父の日と思い出と二人の父

今回はオーディオとは全く無関係の日記になります。

父の日という事で思った事をつらつらと。

私事ですが、つい先日父が亡くなりました。

ある日家で倒れて病院に運ばれて、膀胱がんを宣告されてから、二週間も経たずに他界しました。

最初から二週間もたないと言われていました。

長い間、人工透析してきた身でありながら長くは生きる事が出来たのではないでしょうか。

父は古き悪しき典型的日本人の思考回路の持ち主で、基本的に私と考えが合う事はありませんでした。

母を亡くしておとなしくなってから、ようやく馬が合うようになったのです。

そう、私は母も大腸がんで亡くしています。
母の時も癌が発覚してから一ヶ月も経たずにこの世を去ってしまいました。

医学って何でしょうね。

そして両親が揃っていなくなってしまったという現実が突きつけられます。

周囲には同じような境遇の人間がいないので、なぜこの歳で自分だけ?

そんな事は思っても仕方のない事だというのはわかってはいるのですが、それでも生きるしかなくて。

火葬場で遺体を焼いて、骨だけになってしまった父の姿が忘れられません。

人というのはこんなにも脆いものなんだなと、再実感しました。

人はあっさり死んでしまう生き物。

亡くなった父はこれでもかというくらい堅物でした。

とにかく融通が利かないし考え方が古い。

それでも子供の頃は好きな部分もありましたし、ガキなりに尊敬している部分もありました。

一緒に何かをして遊んだとかそういう思い出は特に浮かびませんが、学校が休みの日に父についていき父の仕事を手伝ったりしたのを覚えています。

仕事一筋で遊びに行く事もなく、つまらない親父だなとガキながらに思っていたのですが、家族のために頑張っていてくれたのですね。

私が大人になるにつれて反抗期となり、バンドに目覚めた私との相性は最低最悪に。

顔を合わせればケンカをする事も少なくありませんでしたが、更に大人になった頃には自然と収まっていったように思います。

私(バンド)がテレビに映った時や、私が音楽を担当したTVCMが流れているのも、母と一緒にチェックして喜んでくれていたようです。

そして母が亡くなってからは、自然と顔を合わせる機会も多くなり互いにフレンドリーに接する時間が多くなっていきました。

父の会社のホームページを作ってあげたりした事もあったし、嫁とケンカした時には飛び込みで泊めてもらったりもしました。

なんだかんだといい関係だったのです。

その関係も、父がよくわからない保険レディに捕まって、金に苦労しだして(2日に一回は人工透析通ってるので仕事もそんな出来ない)私の兄の家にお世話になるようになってから一転していきました。

私への金の無心が始まったのです。

それは父からではなく、兄からでしたがなんだかんだ親父にはお世話になってきたわけだしと嫁に頭を下げ毎月支払ってきたのです。

そのくせ親父は嫁にありがとうも何も言わないし、こっちの言う事も聞かないし、それに対して嫁は切れるし私も心が疲労していきました。

次第に関係は悪化していき、最後の方はケンカ別れをしました。

最後に倒れて御見舞に行った時には、話している言葉もよくわからないし、なんかボケてるし、私が話した事がちゃんと伝わっていたとは思えないままでした。

子供達も連れていったけど何度呼んでも反応もなく、終わりも近いのかな…と思っていたら数日後あっさりと逝きました。

なぜか業者ではなく私が遺影を作る事になり、父の画像を引っ張り出し加工して仕立てる事に。

私にとっては良い父親でも悪い父親でもどちらでもなかったし、嫁からすれば我が家から金をせびる原因の疫病神ですらあった私の父ですが、どんなクソオヤジでも私にとってただ一人の父親であった事は変わらない事実です。

別にどっちだっていいと思うんです。
生きていてさえくれればロクデナシだろうと素晴らしい父であろうと。

この世界からいなくなってしまうこの心の空虚さに比べればマシです。

生きてさえいれば今後も思い出を積み重ねていく事もできたかもしれないのに。

もう何もできない。

何もする事ができない。

人はいつ死ぬかわからない。

ちょっと前まで元気そうだった母も父もいなくなってしまった。

普段そういう事は考えないで生きているけれど、その可能性を忘れないようにしよう。

だから親孝行出来る人はしてあげてほしいなって思います。

普段接する事がなくても、あっても。

人って言葉に出して何かを伝えるのって結構難しいと思うんです。

日々のちょっとしたありがとうやごめんなさいとか

言える人は言えるんでしょうけども…
言えない人は言えませんよね。

後悔はいくらでも出来るけど

私はもう伝える事はできないから…

いつかこの気持ちが落ち着いたら、今度は父の歌でも作ろうと思います。

父は亡くなって、私も父になって、どんな父親になっていけるかはわからないけど、いつか死ぬその時に子供に、大好きな父と思ってもらえるように生きようと思いました。

ただ、いてくれるだけでいい。

そんな家族でありたいと思います。